彼が都会に行くと言ったとき、私は驚かなかった。
やっと言ったのだと思った。
「仕事がな、向こうに決まったとたい」
そう言って、彼は少しだけ笑った。
安心したようにも、不安を隠しているようにも見えた。
「……そうなんね」
私はそれ以上、何も言わなかった。
この町では、言葉を重ねるほど、話はこじれる。
彼が出ていくという話は、すぐに広がった。
誰が最初に口にしたのかは分からない。
ただ、広がる速度だけは、いつも正確だった。
「楽なとこ行くとたい」
「こっちは、もう嫌になったとやろ」
そんな言葉が、私のいない場所で交わされていたらしい。
彼は、それを真正面から受け止めてしまう人だった。
「なんで、そがん言わすっとな」
「便利なとこで働くとが、そがん悪かとや?」
正しい言い分だと思った。
でも、この町では、正しさは必ずしも守ってはくれない。
夜、二人で並んで座っているとき、彼は続けた。
「ここにおっても、先が見えんたい」
「向こうは、ちゃんとしとる」
ちゃんとしている。
それは、この町に足りないものを、ひとまとめにした言葉だった。
私は、少しだけ間を置いてから答えた。
「私は、ここにおるよ」
彼は、すぐには返事をしなかった。
「なんでな」
「一緒に来たら、よかたい」
私は首を振った。
「理由は、なか」
「ここがおらんと、いかんだけ」
彼は困ったように笑った。
「……分かっとる」
その言葉は、私に向けられているようで、
実際には、自分に言い聞かせているように聞こえた。
別れの日も、特別なことはなかった。
「じゃあな」
「体、気ぃつけてな」
「そっちこそ」
それだけだった。
彼は都会へ行き、
私は、これまでと変わらない朝を迎えた。
連絡は、途切れたわけではなかった。
ただ、返す言葉が、少しずつ短くなっていった。
彼が選んだ場所と、
私が立ち続けている場所は、
地図の上では、そう遠くない。
それでも、
同じ言葉で話していたはずの距離は、
もう測れなくなっていた。
私は今日も、この町にいる。
それだけは、変わらない。